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日常のちょっとした景色から感じた事

徒然草

季節の変わり目になると服装のチョイスに悩みますが、特に冬から春へ変わるこの時期は難しい時期です。春間近とはいえ日が暮れるとまだ寒い北海道なので、コートを手放すのは躊躇します。

一昨日デビューしたであろう新社会人を見ると、男性はコートなしで歩いている子が多く、「きっとコートにまで予算がまわらなかったんだな」と思ってしまいます。

それまで必要がなかったであろう”スーツ”他一式をそろえるのも結構な出費ですし、働きはじめの数か月は色々と大変なものです。

一方で数日前の帰りの地下鉄で、なんか疲れた雰囲気を漂わせている老年のサラリーマンが大きめの紙袋を持って乗り込んできました。

袋の中身をチラ見すると”花束”が入っていて、「ああ転勤か定年退職か、お別れの花束なんだな」と察しましたが、同時にこの”コロナ禍”のせいで送別会なども見送りでしょうし、そんな想像をすると気の毒な気持ちになってしまいました。

失って知る”普通”の有難さ

今回のコロナに限らず、日ごろ特に意識もしていない”普通”のことの有難さって、なくなって初めて知ることが多いような気がします。

昨年の9月に緊急退職し、1ヶ月半ほど無職になりましたが、その時も痛感しました。あの離職のタイミングが今だったらと思うと戦慄してしまいますが、幸い仕事が見つかり、働ける有難さを思い知りました。おせーよ!思い知るのが・・・とも言えますが、実際そうだったので仕方ありません。

そう思うと今一度自分の足元を見つめなおし、よく考えて行動しようと思いますし、こんな朝の時間も貴重で有難みすら感じます。

内面に閉じこもるわけでもないのですが、あまり出歩けない今だから逆に出来ることなんだろうと思います。

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ついこの前まで「非常事態宣言」について、まるで独裁国家を思わせるような報道をしていたマスコミがありましたし、某社民党の某女史なんかもワーワー喚いていました。

ところが今は「いったい宣言はいつなんだ!!」という声がほとんどで、もうどうなることやら分かりません。

発言するのは自由なのですが、いろんな声が溢れすぎて少しばかり”情報化社会”の弊害なのかと思ってしまいます。こんな時代だからこそ、情報を鵜呑みにせず自分なりの考えをしっかりと持たなければならないのですね。

私も札幌の片隅で、ひっそりと情報の真贋を見定めながら頑張っていきます。

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