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文章を書き続けていますが、今さらながら日本語の奥深さを知りました。

徒然草

文章というものは奥深いもので、何のための文章なのかで作法も変わってきます。先日とあるECサイト向けの説明文を納品したら「ワンセンテンスがなげーよ!」と指摘を受けてしまいました。

何となく今まで、ブツ切れの短い文章は「頭悪そう」と思っていましたが、校正を受けた結果「1文が長くなると主語が曖昧になり、書かれている内容にブレが生じています」などと言われてしまいました。

とりあえず副業でお金を貰う立場なので「ご指摘、ありがとう!」的な返事はしました。

それ以外にも、断定系が説得力を増すとかいう勢力がいて、書いてる人間は専門家でもないライターなのに「~だ!」とか「~である」なんて文章を見ると、嫌悪感しか生まれません。

これを言い直すと「嫌悪感しか生まれないのだ!」・・・どうなんでしょうか?

おそらくマーケティング論的なものから、一部でこのような風潮があるのでしょうが、それらは正解ではないと思っています。個人的には「美しい日本語は、絶妙な長さの文章で成り立っている」と考えているので、そうではない文章は”アルバイト用”と割り切ることにしました。

そう思いながら、夏目漱石の「坊ちゃん」の冒頭を見ると、見事なまでにブツ切れで驚きました。

親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。

なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。

新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いばっ)ても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はやし)たからである。

小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

引用:坊ちゃん

これは短いセンテンスにまとめることで、軽妙さを出すテクニック言えるでしょう。

結局のところ、使い分けが大事なんですね。少しだけ日本語への理解が深まりました。

昨夜はついつい寝るのが遅くなってしまい、とても眠たく怠い朝を迎えています。週末が近づいているので何とか頑張れそうですが、きっと辛い一日になることでしょう。

こんな時にいつも考えるのは「今日は早寝しよう」ということです。しかし夜になると何故か元気が出てしまい、翌日も同じことを考えがちです。

しかし今日こそは早寝します。それは元気に週末を過ごすための準備となります。なにせやることが多いので、とにかくパフォーマンスを上げなければなりません。頑張れ!おっさん・・・と、自分にエールを送っておきます。

 

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